瓢箪日記

備忘録

[本]工藤保則『46歳で父になった社会学者』ミシマ社、2021年

 

 育児する父親のエッセイ。知的で抑制のきいた文章ながら、生々しい育児の日々を綴りつつ、少し俯瞰した視点で先人の言葉が引用される。タイトルに「社会学者」とあるので、育児を社会学的に捉える視線があるのか、研究職と育児の両立の工夫が開陳されているのか、と期待して読んだがそういう記述はほとんどない。ふるさとと結ばれ直す経験とかベビーカーと公共への言及もあるが、もっと深く社会学的な考察は著者の『〈オトコの育児〉の社会学―家族をめぐる喜びととまどい』(ミネルヴァ書房、2016年)に書かれているらしい。

 著者は配偶者と家事・育児をよく分担し、具体的な子どものミルク・オムツ替えの記録や分担のタイムスケジュールを細かく記す。とりわけ平日の夕飯を担当している点は、育児する母である私からするとポイントが高い。著者は2016年の本を出したあと、育児について「失敗談はないのか」と周知から尋ねられたという。男性は失敗談を笑い合い、女性は苦労話を競うがこれは家事・育児の分担が男女の間で不均衡であることの裏表であり、男性の自己弁護と開き直り、女性の諦めなのだと分析する(pp.58-9.)。世にはおしっこのオムツは替えられても、うんちのオムツを替えられない父親がいることに触れ、うんちは健康状態を知るために大切と説く。ぜひ育児する父親全てに、そして母親にもこのエッセイを読んでほしいと思う。

 一方で、ところどころに違和感を感じた。著者が夕飯作りを分担するようになったのは、過酷な育児から配偶者が自律神経失調症を発症したことがきっかけであるという。最初はラベンダーのポプリを枕元に置いたり、鍼灸院を勧めるというトンチンカンさ。力を振り絞って日常のことをこなす妻を見て心を痛めたというが、そんな状態になるまで「料理は妻」と思っていたのではないか。うんちのオムツ替えはできないという男性と五十歩百歩だったのではないか。次第に「父親」として成長する軌跡であるのかもしれないが...こんな調子じゃ他の家事・育児も著者が気づいていないだけで配偶者の負担が大きくなっているのではないか。

 また子どもが体調を崩したとき、妻は会社を何日も休めないし、自分も授業があるので、神戸の義母に京都まで来てもらったという。授業は休めないと当然のように言うので、すっと冷めた。大学教員で母親である私は自分の講義をこれまで何回休講にしてきただろう。

 著者は育児にかんして、料理はうまければ「おいしい」と褒めてもらえるが、地味な洗濯は手間のかかる割にそういう言葉はもらえない、と丁寧に家事の機微を書いている。これだけ理解のある父親でも、母親との間にはうっすらと溝が残っているのだなあとため息する。あまり細かいことをあげつらってはいけない、分断より連帯を、とくに女性である私は男性である著者に寛大に接しなければ、と思ってまたああしんどいと思うのだった。